幸せとは
教「幸せに生きる力を育む」ものとして「幸せ」の定義付けをしたいと想い、探求。
幸せランキングも、鵜呑みにできない感覚がある。国によって幸せの定義が違うだろうに、土台の価値観が違うだろうに、同じものさしで比べられるのか。
以下、大石繁宏「幸せを科学する」から抜粋
・アメリカではウェルビーイングを人生の満足度と共に、「幸せ」「喜び」「ワクワクドキドキ」といった肯定的感情の頻度、「悲しみ」「怒り」など否定的感情の欠如で計測。
・一方、ドイツは、否定的感情をたくさん経験してきた人が、人生の終わりには英知を備える。理想の人生=悲しみや苦しみを味わい、そえrを乗り切ってきた人という概念。
・フランス「馬鹿さ、身勝手さ、健康」が幸せの三大条件。ただし、馬鹿さがないと無意味。(小説家 ギュスタブ・フローベル)
・ラテンアメリカ諸国では、肯定的感情を持つことを理想的な人生とみなす人がアメリカよりも多い。
・アメリカや北欧は肯定的感情の頻度が、人生の満足度と高い相関
一方、東アジア、東南アジア、アフリカ諸国ではそれほと高い相関性はない。つまり、肯定的感情なしで人生に満足を感じる。
https://pdfs.semanticscholar.org/5288/92b6b30bbe0a709ea0619410f53c1b71472e.pdf
・ロシア「幸せは、無垢で、はかないもの」幸せは子供だけが感じる感情である。幸せは一時的な現象である。
・アメリカ「幸せは自分の力で達成可能である」
・アリストテレス「エウデモニア」=一時的な快楽や幸せな気分を意味するのではなく、人間に特有な理性の機能を善く働かせ、自分の能力をフルに生かした人生を送っているかどうか。かつ、いくつもの優位な生活環境が整っているかどうか。友やパートナーと友に好きな行動を行うことが一番幸せである。
「どんな人格者でも、妻や息子に早死にされた人物は幸せな人生を送っているとはいえない」とも言っている。
・プラトン「不幸なことが家族に起こったとしても、その人が道徳的人生を送ったのであれば、その人が真に人間らしい、幸せな人生を送ったと評価すべき」(個人主義的幸福観の先駆け→カントにつながる 20世紀欧米でのアリストテレス離れに。)
幸福 = 幸せ ➕ 福によってもたらされる
・ 幸せとは運任せな部分もあり、かつ壊れやすく、脆いものである。(ナスバーム教授)
・第三代アメリカ大統領 トーマスジェファーソン「幸福の追求」というスローガンを掲げる。受動的要素を忘れる一因に。
・快楽さえ得られれば幸せなのか? ロバートノージック教授による経験マシーン。
人間は単に快楽や幸福を感じていればそれでいいのではなく、何か自分で積極的に経験しないことには存在意義を見出しえない生き物なのであり、自ら何かを達成したうえでの快楽や幸福感でない限り、意味はない。
東洋哲学における幸せ
・孔子「論語」儒教の四書の筆頭 孔子にとっての幸せは、安心され、信じられ、慕われて、はじめて得られる穏やかな心境。
・アリストテレス 個人の能力を探しだすことがギリシャ人にとっての第一課題。自分の内面に。自己発見から全てが始まる。
・儒教 年長者を観察し、模倣することから学習が始まる。徳を身につけていく。
・アリストテレス 幸福な人生の達成方法は千差万別。
一方、儒教は、万人が努めれば達成できるというひとつの理想の人生像が描かれている。天賦の才能を発見し伸ばすというより、仁、徳、礼を身につけようとする態度が大事。
・儒教は、理想的な社会にもつながる。個人レベルと社会レベルの理想が調和している。
・仏教「無我の境地」「諸行無常」滅びるものを滅びないと信じ、執着するから苦しくなる。
・ヴァージニア大学ジョナサンハイト教授 仏教の考えに共感しつつも、最終的には幸せにはなれない。何かに情熱を注げなければ、人生は生きるに値しないというアリストテレス的前提がある。
・アメリカ人と台湾人の「幸せ」の違い
アメリカ・・ドキドキした気持ち 非常に強い感情
台湾・・穏和な気持ち バランスのとれた感じ
一見、西洋化した若者ですら、仏教的な感情を望ましいと感じる。
・ウェルビーイングの捉え方の違い
アメリカ・・自分の力で生きていけるような資質を持っていることが核心にある
独立心があり、何か特別な能力があり、かつ見知らぬ人と友人関係を容易に作れるような社交性を持っていること。そして何より自分が存在価値のあるポジティブな人間であるという自己認識が重要。
日本・・自分には弱点があるが、全般的にはポジティブである。普通の存在である。
京都大学生の84パーセントが自分は「普通」
スタンフォード大学生の96パーセントが自分は「特別」という自己評価。
アメリカ・・独立的自己観 日本・・協調的自己観